格言スピーチ

戦国武将の言葉、幕末志士の格言をご紹介。朝の朝礼、スピーチに役立ててください!

戦国武将 竹中半兵衛重治の名言でスピーチをしてストレス解消-「身分不相応な値の高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともある」

目次 1 言葉の意味 「身分不相応な値の高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともある

   2 戦国武将 竹中半兵衛重治とは

   3 雑談・豆知識(おせち料理の習慣

 

 

★1「身分不相応な値の高い馬は買い求めるべきではない。よき馬ゆえにかえって名を失うこともあるの意味

 言葉の通りですが、「身分不相応な値段の高い名馬は買うべきではない。名馬をを買ったゆえに勝機を失うこともある」という意味です。

 竹中半兵衛はいつも貧相な馬に乗っていたので、豊臣秀吉が「身分にあった馬になぜ乗らないのか?」と聞いたところ、「名馬を買えば、合戦の際にその名馬が惜しくなり戦機を逃しかねない。だから貧相な馬でいいのです」と半兵衛は言ったと言われています。

 昔の武士は凄いですね。

 名を惜しみます。

 現在風に言えば、新入社員がベンツを買う感じでしょうか。

 ベンツを買ったから、仕事を頑張るという逆パターンもあると思いますが(^-^;

 何事も自分に合った買い物が大切かなって思います。

 お金の遣い方、物の買い方、人との付き合い方、無理せず背伸びせず、自分にあったペースで、人生を進んできましょう!

 

 

★2 戦国武将 軍師 竹中半兵衛とは

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 竹中重治(たけなか しげはる)、通称は半兵衛(はんべえ)は、天文13年(1544年)に、美濃斎藤氏の家臣で美濃国大野郡大御堂城(現在の岐阜県揖斐郡大野町)城主である竹中重元の子として生まれます。

 家督を相続した半兵衛は、菩提山城主となって美濃国(現在の岐阜県)の国主である斎藤氏に仕えます。

 この頃、尾張国(現在の愛知県)の織田信長による美濃侵攻が連年のように激しくなりますが、斎藤義龍時代は信長の攻勢をよく防いでいましたが、義龍が死去すると、後を継いだ龍興は若く凡庸だったために家臣団に動揺が走り、織田氏の侵攻を防ぐことが難しくなります。

 そのような状況を見た信長が、永禄4年(1561年)7月に美濃に侵攻してきますが、斎藤勢は半兵衛の独特な伏兵戦術(十面埋伏陣)で織田勢を破ったとされています。

 また、永禄6年(1563年)にも新加納で織田勢と戦いますが、このときも半兵衛の戦術のおかげで斎藤勢は勝利したと言われています。

 しかし、主君である斎藤龍興は酒色に溺れて政務を顧みようとせず、一部の側近だけを寵愛して半兵衛や西美濃三人衆を政務から遠ざけていきます。

 憂いを感じていた半兵衛は、永禄7年(1564年)2月に、龍興の居城である稲葉山城(後の岐阜城)をわずか1日で、しかも17名で奪います。

  これを知った織田信長は、城を譲り渡すように要求しますが、半兵衛は拒絶し、8月には自ら稲葉山城を龍興に返還します。

 このクーデターは、疎まれていた半兵衛が自分の実力を知らしめる為や、龍興に対する注意勧告の為という諸説があります。

 その後、斎藤氏を滅ぼした織田信長は、浪人していた半兵衛を自分の家臣として登用したいと考え、美濃攻めで頭角を現していた木下秀吉(後の豊臣秀吉)に勧誘を命じます。

 半兵衛はこの時、秀吉の才能を見抜き、信長に直接仕えることは拒絶しますが、秀吉の家臣となることを了承します。

 秀吉に仕えた半兵衛は、主に調略活動や秀吉の軍師として活躍します。

 秀吉が中国攻めの総大将に任じられると、半兵衛も秀吉に従って中国遠征に参加し、天正6年(1578年)には、宇喜多氏の備前八幡山城を調略によって落城させ、信長に賞賛されます。

天正7年(1579年)4月に、播磨(現在の兵庫県)三木城の包囲(三木合戦)中に病に倒れます。

 秀吉は半兵衛の病状を心配して京都で療養させますが、半兵衛は自らの死期を悟り、武士ならば戦場で死にたいと秀吉に懇願して播磨三木平井山の秀吉本陣に戻り、陣中にて死去します。

 享年36歳でした。

 死因は、肺炎か肺結核と推測されています。

 軍師と言われた半兵衛ですが、本当かどうか逸話という部分が多いように思います。

 私も「孫氏の兵法」を読みました。

 前にも言いましたが、軍師に憧れていますから(^-^;

 画像をクリックすれば、大きな画像が見れて、更に詳細情報が見れますよ(^^♪

 孫氏の兵法で印象に残っているのは、「己を知り 敵を知れば 百戦して危うからず」です。

 次回は「孫氏の兵法」を書きましょうか・・・

 先を読める力、相手の性格、精神状態、自分の事を冷静に見れる力を身に付けたいと思います。

 

  

 ★3 雑談・豆知識(おせち料理の習慣

 戦国時代の正月って、どんな感じだったのでしょうか?

 おせち料理って、いつから食べられているのでしょうか?

 実は、平安時代から貴族の間では、おせち料理を食べる習慣はあったようですが、一般庶民がおせち料理を食べるようになったのは、江戸時代後半のじょうです。

 おせち料理に日持ちする食材ばかりを使用するのは、火の神様を怒らせないようにするためだと言われていますが、それだけではなく、台所を休めるという意味や、正月の期間中は女性を休ませてあげるという意味合いもあるようです。

 もうすぐ正月。

 今年一年に感謝し、来年は目標達成、夢実現に向け、努力をしましょう!!

 こんな「おせち料理」を食べてみたいですね♪

  画像をクリックすれば、大きな画像が見れて、更に詳細情報が見れますよ(^^♪

 

 

最後に、この名言(格言)を、結婚式の挨拶、朝礼、昼礼、スピーチ、会議、雑談、豆知識、ちょっとした話に利用してください。

きっとスピーチが苦手な方でも、スムーズに話せ、相手の印象に残る挨拶となるはずです!

今日も、最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(__)m