日本の偉人 聖徳太子の名言-「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」
★「和を以て貴しとなす(わをもってとうとしとなす)」の意味
「何をするにも皆が仲良く、争いもしないことが良いことだ」と、言う意味です。
やはり、何をするにも(仕事、遊び、クラブ活動など)、仲良くが基本ですね。
喧嘩、仲間外れ、仲間割れ、言い争いなどがあれば、うまく事が運びません。
いつも言われることがあります。
B型がいると、グループが解散したり、うまく運ばないと。
B型は、自己中で、自分の考えを通すのだと。
何を隠そう、私もB型(^-^;
好き嫌いがハッキリしているかも。
仕事をする上で、気を付けています!
ちなみに、この「和を以て貴しとなす」は、聖徳太子が作った、十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)の第一条に出てきます。
ここに聖徳太子の全てが載っています。
法隆寺の七不思議って知っていますか?
「法隆寺にはクモの巣が貼らない。」・・・他の6個は?
画像をクリックすれば、大きな画像が見れて、更に、詳細情報が見れますよ!
★十七条憲法(じゅうしちじょうけんぽう)とは
聖徳太子(厩戸皇子:うまやどのおうじ)が、推古天皇(すいこてんのう)の時代に作ったとされる憲法です。
ただ、この十七条憲法は、近代憲法の様に全民が守らなければいけない憲法とは違い、政府や官僚が守らなければならない行政法に近かったようです。
★聖徳太子とは
聖徳太子は、574年に父の橘豊日皇子と、母の穴穂部間人皇女との間に生まれたと言われています。
その後、日本初の女帝である推古天皇が即位すると、摂政となり、蘇我馬子と共に天皇を助けます。
摂政として活躍をした聖徳太子は、先程も紹介した「十七条憲法」以外にも、氏姓制でなく才能を基準に人材を登用するための基準として、「冠位十二階」を定めます。
仏教を信仰した聖徳太子は、「四天王寺」「法隆寺」と言った、現存する有名寺院も建立しています。
摂政として活躍をした聖徳太子でしたが、621年に亡くなったと言われています。
享年は、49歳でした。
戦国武将の織田信長も49歳で亡くなっています。
この49歳と言う数字に、何かを感じるのは、私だけでしょうか(^-^;
ちなみに、聖徳太子の墓は、大阪府南河内郡太子町の「叡福寺」にある磯長墓(しながのはか)と、言われています。
子供の頃、聖徳太子の話は色々聞かされた記憶があります。
10人の話を一度に聞けたとか。
法隆寺の七不思議とか。
日本の歴史的なマンガも読みましたが、賢くて、自分を殺し、推古天皇の為に一生懸命に補佐した人物だと記憶しています。
また、昔の一万円札の肖像画が印象に残っています。
年齢がバレますね(^-^;
更に、私の地元には、聖徳太子が歩いた道(太子道)や、聖徳太子が渡った橋(太子橋)があります。
私の住んでいる地域も・・・(^-^;
最後に、この名言(格言)を、結婚式の挨拶、朝礼、昼礼、スピーチ、会議、雑談、豆知識、ちょっとした話に利用してください。
きっとスピーチが苦手な方でも、スムーズに話せ、相手の印象に残る挨拶となるはずです!
今日も、最後までお読み頂き、ありがとうございましたm(__)m